太宰治、梅の香溢れる斜陽の廃屋「大雄山荘」~昔日の栄光残る国府津館
「戦争だの平和だの貿易だの組合だの政治だのがあるのは、なんのためだか・・・・・それはね、女がよい子を生むためです。」
斜陽の中で主人公かず子が、自分を孕ませた酒びたりの小説家に書いた手紙の一節です。
そして実在の作家太田静子が住み、東京で毎日酒びたりになっている小説家太宰治を呼び寄せ、合体・懐妊したのが、
この小田原市下曽我の大雄山荘です。

今は幽霊屋敷とも見紛う廃屋。周囲は曽我の梅園で、一面梅畑。正面に大雄山と箱根の山々、霞がかっていて見えませんが、富士山も見えるのじゃないでしょうか?左側には相模湾の海も見えます。
こんな明るすぎるくらい明るい景色の中にぽつんと佇むのが旧貴族の別荘大雄山荘で、斜陽の舞台となった家です。
扉をこわさないで下さい、と立て札がありますが、正面扉の横の通路扉は思い切り開いています。
入っちゃいましょう。鬱蒼とした木々と雑草によって、今にも崩壊しそうです。
主人公の弟から「来々軒。シュウマイあります、と貼りふだしろよ」と言われたように、ちょっと中華風。正面の鼠の石造がお茶目。
ちょっと小説の中にスリップしちゃいましょう。
まずは主人公の母。
庭の萩の茂みの奥に入り、萩の白い花のあいだから、もっとあざやかに白いお顔をお出しになって、少し笑って、
「(私が)今何をなさっているか、
あててごらん」
「お花を折っていらっしゃる」
「おしっこよ」とおっしゃった。
最後の貴族とでも言うのでしょうか。フランスの貴族女性も、庭で立ったままおしっこをしたと言いますが、斜陽の中では、気高く、美しく、可愛らしく、肺結核で、この大雄山荘の一階で息を引き取ります。
次に主人公の弟。
ぼっちゃん崩れ、文学青年崩れ、薬物依存症であり、またアルコール依存症、生活能力ゼロのくせ、頑張って働いている人を蔑んでいる、自らが貴族であることを自嘲しているが、一般市民のことを賎民と呼んで軽蔑している・・・・・・
ダメンズ・コンテストしたら優勝間違いなし、という最低の男。
母と同じ、大雄山荘の一階で自殺します。(当日はダンサーの女を連れ込んでいるのですが)
胸糞が悪くなる男ですが、一緒に酒を飲んだら案外面白いかも。
なぜなら、彼は、自分を的確に客観視出来ているからです。最低の奴でも、その最低さを正確に客観視出来ている奴は許せるのです、私の場合。
そして、主人公かず子。
結婚はしたものの、妻子ある男性に少女のような恋をして、離縁されたバツ一29歳。
田舎で母の介護にあけくれる中、東京で一度酒を飲みに連れて行かれ、帰り際キスしてきた飲んだくれ小説家に恋してします。
そして彼の子供を生むことこそが彼女の革命だ、と信じて猪突猛進し、そのとおり実現してしまう逞しい肉食系の女性。
彼女の言動を見ていると、女性が本当にしたいことは子供を産むことであり、恋愛はそのための一時的な気の迷いに過ぎないような気がしてきます。怖いですねえ、やっぱり女性って。
戦争で貴族としての特権を全て失い、転落するしかなかった家族の生活の残影が、今私の目の前にあります。
しかし、そんな過去の事情等全く関係ないように、初夏の日差しが一面の梅園に照りつけます。
2月の梅園は、淡い花が咲き誇りますが、6月の梅園はフルーツ園のように梅の実がたわわになっています。
むせかえるような生命の臭いがあたりの空気を埋め尽くしています。
歩きましょう。文学的夢想はお仕舞です。
太陽光線が眩しい。
きっと日に焼けますよ。
赤鬼のような顔になってしまうに違いありません。
きつい登り坂を登っていると、
考える行為が薄れていきます。
これはこれで快感。
そういえばこの地は、鎌倉時代に、曾我十郎祐成・五郎時到兄弟が、父河津祐泰の仇・工藤祐経を襲撃して討ち果たした仇討ち物語「曽我物語」で有名な場所でもあるんですよね。
途中広い道に出ると、後は下り。

ふと横を見ると、二宮尊徳遺髪場がありましたが、死んだ人の髪の毛よりも、甘酸っぱい香りを放つ梅の実の方に惹かれます。
そうこうするうちに国府津から大井松田に向かういつもの道。西丹沢や寄にキャンプするため家族で通る道です。
大きなダンプがすぐ近くを通り過ぎる横を、やや熱中症気味になって歩き続けます。
小田原厚木道路、新幹線、東海道線のガードを抜けると、そこはもう国府津の町。
予約しておいた国府津館に向かいます。
実は、国府津館、ただお風呂に入りたいだけで、何も期待していませんでした。
国府津の街にある普通の旅館だろう、程度の期待。国道側から見ても、普通の住居のような外観。
でも入ってみてびっくり。
文化の香りが染み渡った老舗旅館です。
相模湾に望む部屋は、細部にまで心づくしが行き届き、庭の手入れにも並々ならぬホスピタリティーを感じます。
また部屋の中には渋沢栄一や山本五十六自筆の書があり、
いかに多くの才人に愛された宿かが分かります。
幸田露伴、島崎藤村、福沢諭吉、志賀直哉、宮沢賢治、有島武郎、坪内逍遥、宮本百合子、柳田邦夫、円地文子、尾崎一雄等など、が宿泊したり、ここで執筆したようです。
早速風呂に入りましょう。
貸切ですって。
温泉ではありませんが、きれいな庭に面した落ち着いた風呂。
先ほどまでの炎天下歩きの疲れを癒します。
湯船に浸かっていると、先ほどの斜陽の館が脳裏に浮かびます。
思えば高校三年の冬休みまで、自分が理系に進むことを疑ったことがなかったのに、急に文系、それも仏文科志望に変わった動機となった幾つかの小説の一つが斜陽でした。主人公かず子に強く憧れました。
研究室の中で生活するよりも、もっともっと生々しい人臭い人生があるはずだ、どうせ一回の人生なら喜怒哀楽をとことん味わってみたい、と当時18歳の私は思ったのです。
さて、部屋に戻るとお食事が!
風呂に入るだけは不可なので、
ランチコースを予約したら、
何とも豪勢な海の幸料理。
こうなったらビールを飲まない訳には行きません。
ダイエットも兼ねたハイキングなので、アルコールは厳禁という掟ですが、太宰に免じて?飲ませていただきましょう。
結構フルコース、デザートもついて、夜の宴席と考えても満足の行くものでした。
帰りがけに館内の資料館のようなところをうろうろしていると、主とおぼしき男性が来て、いろいろ説明してくれました。
かつては輝いていたのですね、国府津館も、国府津という街自身も。名前も国府の津ですからね。行政の中核だったのでしょう。
東海道線は以前はこの国府津駅までで、機関車を交代して御殿場線に入っていきました。箱根の山を越えられなかったのですね。小田原までは路面電車、熱海までは汽船で行ったらしいですよ。交通の要所だったのですね。
東海道線沿線に住んでいながら知りませんでした。
相模湾を望む洋風の部屋、
才人達が集っていたのですね。
逆境とは言え、いつまでも意地を見せて下さいね。
こういう宿は日本からなくなっちゃいけないのです。
私もちゃんとまた来ますから。


















































































































































































































































































































































































































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