創業者と職人の美への執念の結晶、伊豆湯ヶ島温泉、落合楼村上、及び栄枯盛衰の跡
100年以上昔、中伊豆で金鉱が発見され、そこで金山事業を始めた足立三敏氏という人が、事業関係者をもてなすために旅館を建てました。
彼は、おそらく事業者ではありましたが、美に対する理解と愛情が深かったのでしょう、職人達にお金のいとめをつけずに、考えられうる最高の作品を造らせました。
現在では、どんなにお金を積んでも復元出来ない職人芸の結晶が旅館の至る所にあります。
宿泊者が泊まる部屋(僅か17部屋)自体を含め、
7つの文化財が宿の中にさりげなく、本当に実にさりげなく存在しています。
場所は、天城山中に源を発する本谷川と猫越川が合流し、修善寺~沼津と流れる狩野川のスタート地点となる場所です。二つの川が落ち合う場所にあるため、落合楼と名づけられました。(注)
以後、川端康成・ 島崎藤村・与謝野晶子・山岡鉄舟等、数々の文豪達に愛され、また観月あづさ主演のドラマ「私を旅館に連れてって」のロケ地にもなりました。
途中、老舗旅館ではありがちなことですが、経営が行き詰まり、閉館されそうになりました。
それを現オーナー村上氏が買い取り、2ヶ月間休館しリニューアルし、平成14年再出発しました。
それが、現在の落合楼村上です。
長女は帰宅し、
妻と義母と3人で。
宿に着くと、奥のラウンジに案内されます。
そこでまずもてなしのコーヒー。
ラウンジからは、かつてオーナーが自宅としていた向かいの建物や、すぐ目の前の吊り橋が見えます。
そして年はいってるけど色気のある仲居さんに案内されて部屋に。
それに板のベランダの目の前が、宿の名前ともなっている二つの川がまさに落ち合う場所。
狩野川の始まる場所です。
我々の泊まる部屋の中に、こんな所もあるのですよ。
ロビーじゃありませんよ、我々の部屋の中にですよ!
粋ですねえ。
それに妻が感嘆して言わく。
「老舗旅館って、部屋の隅やカーテン、それに細かい所が汚れていたり、埃をかぶっているのが普通なのに、ここはどんな細かい所も埃一つなく、手入れが隅々まで行き届いている!!」
「仲居さんや下男の態度も徹底したホスピタリティー。老舗旅館に時々あるつっけんどんな態度は微塵もない。きっと現オーナーの良い旅館として蘇らせたい、という情熱が染み渡っているのね」
旅館の中を歩くと、ため息が出る程の趣き。
翌朝、村上オーナー自身が自分で宿泊客を館内説明して廻るのですが、一つの場所や細工を語るだけで、数分では語り切れない程奥深いものばかり。私にはとても表現出来ません。
その中の一つ、鉄の瓦の話。
確かに他とは違う鉄の瓦。
(左写真の赤い瓦)
太平洋戦争時、軍部から
「この鉄の瓦を軍需産業のために、提供せよ」
との命令があったそうですが、
当時のオーナーが、
「それ以上の財を提供するから、それだけは勘弁を」と言って、何とか瓦を剥がされるのを免れたそうです。
当時のオーナーは、ここから伊東まで他人の土地を通らずに行けた、というくらいなので、相当の財を提供したのでしょう。
一休みしたらちょっと散歩。
湯道と呼ばれる遊歩道を歩きます。
新緑と渓流、
心も体も清められます。
湯道の途中で、
見覚えのある建物が。
そう、
かつて泊まったことのある
千勝閣。
でも何かちょっと変。
人の気配がしません。
近くの店のおばちゃんに聞くと、
何年か前に閉館したのだそうな。
落合楼もそうですが、旅館業は
昨今、事業存続が楽でなく、油断すると閉館の危機が常に伴うもの。
そんな困難の中、若女将が子供を連れて、離婚して出て行った後、
女将も病に倒れ亡くなったとのこと。
それで、旅館を続けられなくなり閉館に至ったそうな。
落合楼と違い、こちらは買い手が見つからず、未だに閉館のまま。
復活するのでしょうか?
対岸の旅館も閉館している模様。
10数年前に来た時は、
どこも盛況だったのに・・・・
旅館だけでなく、もう一つの栄枯盛衰を見に行きましょう。
落合楼の出発点となった金山。
さすがに歩いては無理なので、車で行きます。
車で川を上流まで上り10分くらいの所。
金山事業は、オーナーが別会社に売り、現在は中外鉱業株式会社となっています。
金の採掘自体は、採算に合わないようなので、金の加工業のようなことをやっているようです。
かつては多くの男達が働いていたのでしょう。
そして、男達がいるところ、必ず女達もいたはずですから、
生身の人間の生気と熱気でムンムンしていたのでしょう。
つわもの達の夢の跡ですね。
廃鉱跡地というのは、どこも哀愁が漂っています。
男性用(翌朝は女性用と入れ替わり)には、所謂内湯というものがありません。
客は暗い洞窟の中で体を洗います。
不思議な感覚。
そして、その奥には湯が小さな滝のように吹き出ています。
洞窟の中で湯に浸かった後は、湯に入ったまま隣の露天風呂に。
すぐ横の渓流のせせらぎと新緑を浴びながら、心行くまで入浴。
極楽極楽。
中庭を横切り、
離れにひっそりとあります。
中に入ると、家族風呂とは思えないほど、とても広い。
それもそのはず、
この風呂は、かつては貸切風呂ではなく、女性用の普通の露天風呂だったそう。
落合楼は、村上氏が買い取るまで、対岸の落合楼(現在の眠雲閣落合)と一緒の宿でした。
落合楼の客は、現在の門ではなく、県道に面した眠雲閣落合から入りました。
(現在の落合楼村上の門は、
開かずの門)
そして、対岸の建物の方に宿泊した客は、川に架かった廊下(左写真)を通って、こちらの建物に移動してきました。
かつて千勝閣に宿泊した私達は、この川に架かる廊下を見て、今度は是非こちらの旅館に来たいなあ、と思っていました。
実際、今回も私はそれを期待し落合楼を選びました。
残念ながら、現オーナー村上氏は、川のこちら側の建物だけを買い取ったので(まあ当然でしょう)、廊下は残っていますが、廊下はあちらの眠雲閣落合の所有。
落合楼村上に宿泊した客は、廊下に行くことが出来ません。
壁で塞がれています。
(上写真奥の壁)
もっとも、繋がっていたら、あちら側の客が大挙して押し寄せ、
こちらの落ち着いた雰囲気はかなり損なわれていたでしょう。
そして、この貸切露天風呂はなく、あちら側の女性客でごった返していたでしょう。
それを思うと、廊下は諦めて、妻と二人でこの貸切風呂を満喫した方が良いのかもしれません。
風呂の後は夕食。
今まで使ったことのない厚い座布団に座っての部屋食。
昨日のつるや吉祥亭と同じく、
会席料理。
こちらも工夫に満ちたメニュー。
それに一つ一つが美味い。
妻も義母も、今までの一番美味しいのでは、というほど。
本当に何から何まで行き届いているのですね。
純米吟醸の瓢箪の形をした八海山の瓶は、
「ラベルを剥がすと一輪挿しの花瓶として使えますよ、
是非お持ち帰り下さい」、との仲居さんの言。
勿論、そうさせていただきます。
実は足湯をしているのです。
各部屋には全て足湯があり、宿泊客は誰にも気兼ねせず心行くまで足湯と目の前のせせらぎを楽しむことが出来ます。
素晴らしい素晴らしい一日でした。
あまり良くなかった妻の老舗旅館のイメージが変わってしまったほど。
義母も妻も、秋の紅葉の季節にまた来たいと言っています。
お別れの時、宿を案内してくれた現オーナー村上氏自身と、
これまた文化財の玄関前で撮影。
腰が低く、丁重、それでいて品と知性を感じさせる村上氏、
妻は大変気に入ったようですが、
是非中興の祖になって下さいね。
(注)明治7年創業時は「眠雲楼」という名前だったが、ここを定宿としていた山岡鉄舟が二本の川が落ち合う様を見て「落合楼」と改名を提案、明治14年改名。
⇒伊豆・箱根の老舗旅館
★箱根塔の沢温泉、環翠楼
★伊豆の踊子執筆の宿、湯が野温泉福田屋
★三津、洋上老舗旅館松濤館
★三島由紀夫「獣の戯れ」執筆、安良里の宝来屋
★南伊豆弓ヶ浜、季一遊、一押し露天風呂
⇒いろいろな老舗旅館
★親孝行息子と千と千尋の四万温泉、積善館
★智恵子を連れ込んだ高村光太郎、犬吠埼波打ち際ぎょうけい館
★国木田独歩の愛した銚子、大新旅館いわし歩き
★森鴎外が住んでいた自宅が温泉ホテル、上野 ホテル水月
★横須賀阿部倉温泉湯の沢館、横横道路から見えます
★相模湾を望む国府津館
★丹沢広沢寺温泉、玉翠楼、都心からこんなに近い温泉
★西丹沢中川温泉信玄館、武田信玄も入った?
★富士山絶景、河口湖湖山亭うぶや
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