白虎隊、亡くなった少年と生き残った少年が今の会津を創る
食い入るようにある一点を眺める少年。
少年の視線の先には城。
彼等が命を懸けても守りたかった城。
生まれた時から毎日目にして、太陽が東から出て西に沈むのと同じくらいあまりにも当たり前のこととして、自分達の世界の真ん中に絶対的存在として位置してきた城。
敵軍の外国製大型大砲の集中砲火を浴びて。
張りつめてきた全ての思考が切断されました。
(写真は現在の飯盛山から見た鶴ヶ城。燃えてません)
全速力で城に駆けつけ応援しなければ。
それとも「もはやこれまで・・・・」
16歳の少年にとってはあまりに重い判断。
ぼんやり毎日過ごしていた私の16歳とは余りにかけ離れたシチュエーション。
喧々諤々の話し合いをし
少年達は後者を選びました。
自刃したのです。
言わずと知れた会津白虎隊の物語。
戊辰戦争は知らなくても白虎隊は知っているというほど、その後の日本人の心に深い感銘を与えた少年達です。
自分個人のためではなく主君のために命を懸ける、
あるいは恥より死を選ぶという侍の魂の結晶です。
何だかんだ言っても、日本人はこの侍の魂が好きなのです。
神風特攻隊の中に、
自らを白虎隊と名乗り自らを重ねあわせたチームがあるのも頷けます。
「けっ、くだらねえ。ばっかじゃねえの」と言っている人にも、心の底には白虎隊への憧れや羨望があるのです。
(自分では認めないかもしれませんが)
男だけではありません。
白虎隊を心底格好良いと夢中になっている女子達もいます。
今日も。
彼女達は素直に白虎隊の少年達への憧憬や思慕の念を表現しています。
格好良いものは格好良いのですから。
白虎隊はこのように100年以上経っても英雄として我々の記憶の中に生きていますが、記憶だけじゃなくてちゃんと生物学的遺伝子としても今も残されています。
白虎隊は総勢約340人いるのです。自刃したのは19人ですから、残り約320人は生き残ったのです。
飯沼貞雄さんだけが白虎隊の生き残りではありません。
彼等は戊辰戦争後も会津で生きていきました。
「俺は白虎隊の生き残りだ」と公言しない人の方が多かったと言いますから、「えっ、俺って白虎隊の子孫だったの?!知らなかった」という人は相当大勢いることになります。
ちゃんとした人口統計数字はないようですが。
それに白虎隊の構成メンバーは武家の中でも上級武士の息子、少年エリートです。
そうでない普通の少年隊も数多くありました。
戊辰戦争で亡くなった少年は大勢いますが、
生き残った少年も大勢いるのです。
そして生き残った少年達が、
荒廃しどん底に陥った会津を再建していったのです。
19人のように英雄にはなれなかった少年達がその後の会津を作ったのです。
会津の立役者であり隠れた英雄達です。
白虎隊が飯盛山から見た悲しい会津若松の眺めではなく、東山温泉東鳳の露天風呂から見た穏やかで仕合せな会津若松の眺め。
鶴ヶ城は今日もきれい。
(本当に見えます)
会津のために自刃した人の思いも、生き残って会津再建のために頑張った人の思いも、
見事に成就したと言えるのではないでしょうか。








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