子供の頃の僅かな思い出を訪ねて、草津温泉親孝行の旅~西の河原亡き人々を偲んで


P20171260957子供の頃、祖父の家は群馬県で、今でいう比較的大きな流通業を営んでおり、大変羽振りが良かったのです。
毎年、大勢のお得意さんを観光バス3台貸し切って温泉旅行をしていました。
そして良く来たのが草津温泉。
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P20171260936しかし会社は倒産し、
今は祖父祖母は勿論、一緒に経営していた叔父達も、
そしておそらくはその時一緒に来ていたお得意さん達も既にあちら側の人になっています。
賽の河原(ここでは西の河原と書くのですが)に積み上げられた石の間を熱い温泉湯が流れて行きます。
あたりは強い硫黄の香り。
この世なのでしょうか、あの世なのでしょうか。

P20171260958くしゃくしゃになった白黒写真のような記憶しかない草津に父と母と来ました。

父も母ももうかなりの年です。
知人友人はこちらの世界より向うの世界に一杯います。
特に父は最近、
友人知人どころか教え子(父は大学教授でした)の他界が続き、
かなり落ち込んでいます。

P20171260941元気のかたまりだった母も杖をつきながらかろうじて歩ける程度の体力になってしまいました。

父も母も群馬県出身の身ですが、草津はこれが最後だろな、としみじみ話し合っています。

草津まで電車旅だと結構辛いので、
ドライバーをして親孝行をしています。

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P20171260898記憶らしい記憶が残っていない温泉街を歩きます。
子供なので勿論酒飲んで夜の巷に出かけるなんてことはありませんでしたが、射的やスマートボールをやらせてもらった記憶はあります。老若男女が楽しそうに行きかいます。あちこちの宿でもらい湯をするため、浴衣姿でゆったり歩いている熟年男女も目につきます。温泉饅頭の売り込みはちょっとうざい。でも皆結構食べていますね。
人それぞれの草津です。

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寺の山門を潜り抜けると、向こう側が輝いています。
かなり賑やかな場所ですね。

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P20171260839そうです、ここがかの湯畑。

私も温泉好きなので、いろいろな温泉地を旅します。
海や山や渓流と寄り添う温泉、隠れ家的雰囲気を持つちょっと洒落た温泉等を見慣れると、ここはその対極。
賑やかでエネルギー溢れる温泉です。
私が出会った温泉地で最も賑やかな温泉地と言っても良いかもしれません。

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人人人、そして日本語だけでなく、中国語、韓国語、英語・・・・・
硫黄の臭いは地獄の臭いではなく、生に溢れた地球の息吹を感じさせます。地球が人間に元気を与えてくれる熱い水、人間を蘇らせてくれる青い血潮です。実際、草津の温泉は効能が最強なんですものね。かのドイツ人医師ベルツ氏も「こんな温泉が存在していたなんで、驚異!」と絶賛していたではないですか。
父母も早速足湯に浸かって生きている喜びに浸かっています。

135641453888613103410今日はもう一か所行ってみたかった場所があります。
草軽電鉄草津温泉駅跡。

両親共かつて乗ったことがあるそうです。
母に至っては浅間牧場や女子大の別荘があったため何度も乗ったそうです。遅い電車なので、男の子なんかは走っている電車から降りて立小便をしてまた追いかけてきて乗ったそうですよ。昔の白黒の映像で見たことがありますが、乗ってみたかった。
P20171270001昔の駅跡だった場所にはイタリアレストランが立っています。

相当想像力を働かせてみましたが、それらしき残滓はどこにも見当たりません。
レールの跡が僅かに残っている場所がある、と聞きましたが発見出来ません。
そのかわり数十メートル離れた場所にある小さな公園にポツンと石碑があります。
この石で廃線の旅を味わうことにしましょう。

Imagesvzzox258軽井沢から何時間もかけてコトコト乗ってきた一両だけの客車を降りて、目の前に広がる草津温泉を前に心を躍らせている人達の渦が見えるかな。

写真は昔の終点草津駅風景。
昭和の温泉駅ですね。
来たかった。

さて散策の次は本日の宿泊地ホテル高松に行きましょう。

P20171260904湯畑から歩いて3分程度の場所にあります。
母が予約をする時、
「草津は何度もお世話になった思い出の場所だけど、多分生きて来るのはこれが最後なのだから、上層階にして下さい」と半ば脅しのような交渉をした結果、9階の部屋が予約出来たとのこと。

本当は正面に白根山が見えるはずですが、生憎雲の中にお隠れになっているようです。

P20171260924ともあれ早速風呂でしょう。風呂は内風呂二つと半露天風呂三つ。じっくり最高の効能に浸らせてもらいましょう。私もあと少しで60歳。最近、あちこちガタが来ていると感じています。昔の人は、薬なんてまともになかったので、健康を害したらこうやって温泉に入るしかなかったんですからね。このところ日本全国で火山が元気になりすぎて問題になっていますが、火山が元気だからこそこうやって温泉に浸かれるのです。
蘇りのお湯をありがとう。

P20171260981そして夕食。ご馳走とビール・・・・
一泊一人12000円とお得感ある料金ですが、料理はなかなかのもの。

改めて生きていることの喜びを噛みしめます。
あちら側の世界に行ってもこんな楽しみはあるのでしょうか。

あると良いのですが・・・・・

P20171260986夜の草津温泉街は闇に浮かぶ火の玉の祭りのよう。

こちら側の人も、あちら側の人も、分け隔てなく温泉を満喫しているよう。

この世とあの世はほんの紙一重なのかもしれません。

ちゃんと親孝行出来たでしょうか。

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群馬の旅
四万温泉積善館、両親と千と千尋の旅
学者・文化人の軽井沢、北軽井沢学者村~浅間牧場
コスモス咲く渡良瀬渓谷鉄道、桐生駅~間藤駅・足尾銅山本道駅
まだまだ現役、上毛電鉄西桐生駅の井の頭線電車
森へ還る400年のドラマ、足尾銅山
少年時代蘇る館林、つつじヶ丘公園・城沼一周

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西の西陣、東の桐生・・・・昔を偲ばせる街桐生と新田義貞隠れ湯の藪塚温泉


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闇夜に蛍光灯が灯る一本のプラットフォーム。線路は手前でなくなります。そう、ここは終着駅。そして、何とも懐かしい電車が!!
もう30年以上、否40年近く前、毎日通学で使っていた電車。
京王電鉄井の頭線の電車。
P28851090591しかし、ここは渋谷駅でも吉祥寺駅でもありません。群馬県桐生市の中にある上毛電鉄西桐生駅。この駅と中央前橋駅間を結ぶ地元の足です。ぺちゃくちゃおしゃべりしながら乗降する女子学生、部活帰りの男子学生、買い物籠下げた主婦、ジャージ姿のおっちゃん達がプラットフォームの上を行き来しています。自転車のまま電車に乗って行く人もいますよ。

P28851090565ここ桐生市は、かつて絹織物で栄えました。
「西の西陣、東の桐生」等と言われたこともあるそうです。
何といっても繊維産業はかつての日本の一番の産業、
街はさぞかし賑わっていたことでしょう。街のあちこちに昔を偲ばせる建物が散在します。
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普通の地方都市かと思ったら、唐突に昭和映画の中にタイムスリップしたような街角・・・・不思議な街ですね。
右上の写真、これ、歯医者ですよ!

P28851090613P28851090562「歴史と伝統の街桐生にはキリンビールが良く似合う」

なるほどそう来ましたか。

確かにアサヒスーパードライよりキリンラガービールが飲みたくなる街かも。
私はどちらも大好きですが。


P28851090621突然、昔懐かしい音が!
ガシャンガシャンガシャン・・・・
実際に機を織っている音です。
ありました。
この建物の中からです。

祖父祖母が群馬県館林市に住んでいましたから、この音には聞き覚えがあります。

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Stage35528_1しかし現役で絹織物をやっている店は他に殆どありません。観光案内の人に聞くと市内でも3か所だとか。ここは貴重な建物ですよ。いつまで続くのでしょう、
この音。
多くは、現役を退いて、第二の人生を歩んでいます。代表的なんが有鄰館。
かつては酒と味噌を造っていた蔵ですが、今は演劇の館です。
かつての職人達とは違う、若者たちの強いエネルギーを感じます。

P28851090632一歩きした後は、当然風呂です。
桐生市内でも良いのですが、
「新田義貞隠れ湯」のコピーに惹かれ、隣町藪塚に。
名前だけは聞いたことがあります。
それも東武電車の急行(今は特急)りょうもう号の中です。
「浅草を出ると、次は館林、足利市、太田、藪塚、新桐生、相生、終点赤城の順に停車してまいります」というアナウンスだったと思います。
藪塚の駅自体はとても特急が停まるような駅ではありませんが、
ここには温泉街があります。

P28851090630そして日帰り温泉をやっているのは、ここ「ホテルふせじま」だけ。
1100円払って6階へ。
素敵な眺めです。
関東平野は俺の物、とでも叫びたくなるような。
(ちょっとオーバー)
屋上の強い風で露天風呂はお湯から出ると寒いくらい。でも、この火照った体を風が冷やしていく感覚が心地良いのですよね。

P28851090569今回、三泊四日も渡良瀬渓谷、足尾銅山、と桐生界隈にいてしまいました。
東洋一の銅山と日本の繊維産業を支えた街・・・・・もう現役ではありません。
かつての資産を使って、その生活・文化を文化資産として未来に向け発展させようとしています。
「シルクカントリーぐんま」と標榜し、富岡製紙工場等と共に世界遺産登録を目指しています。
人は、どんな時でも、幾つになっても、明日への夢を抱かないと
生きていけない生き物ですからね。

P28851090603後2年でサラリーマン定年の私はどうでしょう。
現役を引退して新しい夢を追いかけますか、
それとも働く場所が与えられる限り、あくまで現役を続けますか、
この井の頭線のように。

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森に還る400年のドラマ、足尾銅山~足尾温泉庚申の湯「かじか荘」露天風呂


P28851090479林の中に階段。
かつてこの階段を多くの老若男女が行き来していたのでしょう。

「いってらっしゃい」と夫を見送る妻と子供。
学校帰りにはしゃぐ子供達。
銭湯で一風呂浴びてご機嫌のお父さん。

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P28851090486居酒屋で酔っぱらって千鳥足のオヤジ。
濃い化粧で道行く人に嬌声をあげる遊女達、
それをひやかす酔客達。

地面に僅かに残るコンクリートの土台だけが、
ここがかつて人の建物だったことを証明しています。

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P28851090260もう一つ別の地域。
目抜き通りです。

左写真の場所、ここは地図によると確か床屋のはず。
ススキしかありません。

浴場もこのあたりにあるはずなのですが・・・

P28851090264神社の鳥居だけが取り残されたように立っています。
実はこの先に神社が現存するらしいのですが、
どうにも怖いので行けません。

それに「熊出没注意」の看板も出ていました。

P28851090273コンクリートの残骸、地図によるとどうやら音楽堂跡。
コンサートでも開かれていたのでしょうね。
その左横の野原がスケート場跡で、手間の野原の場所には浴場があったようです。
今はススキの原ですが。

本山抗と呼ばれた場所の近くです。

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P28851090434最初の小瀧地区も、その後の本山地区も、それぞれ1万人以上の鉱夫とその家族が住んでいました。
鉱夫のいる所に必ずあるのが酒場と遊女。
明日死ぬかもしれない男達は宵越しの金はもたなかったのでしょう。
鉱山の周りには鉱夫の家や鉱山施設だけでなく、実際に小学校も浴場も居酒屋も遊女館もあったそうです。
400年前二人の農夫がたまたま発見した銅が、この山奥の森を人々の熱い営みの街に変えたのです。

P28851090499P28851090120ここは足尾銅山。

日本の銅の半分を算出し、一時輸出もしていた天下の大銅山。
江戸時代には江戸城、芝増上寺、日光東照宮の銅瓦として使われていました。
その後、明治になって近代的銅山として復活。国家近代化に寄与。
P28851090241しかし足尾鉱毒事件という日本の代表的公害事件の不名誉な舞台ともなりました。
鉱夫の暴動も起きました。

1550年、備前楯山で農作業をしていた2人の農夫が銅をたまたま発見してから、1973年の閉山まで、実に400年強のドラマチックな歴史がありました。

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P28851090378当時の坑道の一つである通洞抗は今も残り、トロッコ列車でほんのちょっとだけ入れます。
左写真のようにすぐ行き止まりになりますが、上に「この先、1200km以上の坑道が続きます」という立札があります。
1200kmとは、東京博多間の長さに匹敵する距離で、それだけ坑道が上下左右に張り巡らされていたのです。

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P28851090395この備前楯山という一つの山の土の中で、掘る人運ぶ人ダイナマイトをしかける人等が万人単位で働いていたのですよ。
昭和の時代になって大分近代化されたようですが、明日生きているかどうかすら分からない、命を懸けた仕事であることに変わりはありません。
P28851090401私は、幼稚園から高校まで北海道札幌市だったのですが、北海道には石炭を中心とした炭鉱が一杯ありましたから、小学校位の時、よくニュースで
「○○鉱山で落盤事故、○○名死亡」という話を耳にしていました。
坑道から骸となって出てきた夫、父親に家族が泣きすがっている姿は今でも脳裡に焼き付いています。

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P28851090312街の中には、朽ちかけた元溶接工場(左上)や、鉱夫の家々(上)が残っています。
全く緑の中に消えてしまった小学校もありますが、鉄筋建ての立派な建物だけは残っている小学校もあります。
本山小学校。
そのすぐ下には、廃線となったJR足尾線の間藤・足尾本山駅間のレールがまだ残っています。

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もう鉱山はありませんが、廃れていく街を少しでも元気にしたい、
という女性達の気持ちはいずこも同じでしょう。
いわき市のフラガールではありませんが、この街にも、街の妻達が少しでも街を元気にしたい、と思って頑張っている店があります。
御食事処 さんしょう家。
自宅を改造して作った定食屋です。街の奥様達の手作り料理です。1300円でミックス定食を頼みました。
美味しいですよ、それにボリューミー。コーヒーのサービスで大満足。

P28851090329こんな健気な話と正反対の話もあります。

公害事件もそうですが、私にとってショックだったのは中国人、
朝鮮人殉死の話。

銀山平地区に中国人殉難烈士慰霊塔というのがあります。

第二次世界大戦の時、人手不足解消のため、日本政府は中国人、朝鮮人を強制連行してきて、ここで過酷な労働を強いました。

P28851090334257人が連行され、
109人が亡くなった、
とあります。
逆の立場だったらどうでしょう。
ある時突然、家に日本の兵隊がやってきて銃口を突き付け、
「今からこの家の亭主(もしくは長男)を日本に連れて行き、鉱山で働かせるから、今すぐ準備しろ」と言われたら。
無事に帰って来れる見込みが薄いこと等、
誰でも分かったでしょうに。

P28851090493家族が理不尽に引き裂かれる程の悲劇はありません。
北朝鮮拉致問題を見れば分かるでしょう。拉致被害者の人数の比ではありませんよ。
大戦中の中国人強制連行者の数は4万人、朝鮮人にいたっては72万人とも150万人ともいいますからね。
今から70年程前のことです。そんなに昔のことではありません。
勿論、足尾だけのことではありません。
P28851090492札幌市に住んでいた時、自転車で20分ばかりの所にも、中国人・朝鮮人慰霊碑が立っていました。北海道開拓は、囚人と中国人と朝鮮人がかなりの部分を負っていたのです。
酷いことをやってきたのですよ、日本人は。
殉難と言えば聞こえは良いですが、ちょっと違和感。
「殉」という言葉は、自らが属する国家のために命をささげる、
という意味。
他国のため、それも自国をさんざん痛めつけている国のために命を失うとは・・・・・どんなに無念だったことでしょう。
なかったことには出来ません。
忘れて良いはずもありません。

P28851090323最後の締めはいつものように温泉、足尾温泉庚申の湯。
国民宿舎かじか荘の露天風呂。
中国人殉難烈士慰霊塔の
すぐ横。
そして、小瀧という足尾銅山の大きな坑道のすぐ隣の山。(最初の写真の地区)

P28851090470こんな山の中の小瀧地区に1万人以上が住んでいたのですよ。
8つの浴場もありました。
小学校もありました。
居酒屋も遊女館もありました。

今は全て自然に帰り、1万人を超す人々の生活を想起させるものは何もありません。

人間の営みとは
何なのでしょうね。

唯一の救いは、かつて緑がなく禿山だった山が、再び緑豊かな山に戻れたことでしょうか。

皆様、難しいことかもしれませんが、安らかに眠って下さい。

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残暑残る秋の渡良瀬渓谷、鉄道と車とハイキングと~神梅館お告げの湯


私の祖父祖母は群馬県館林市。子供の頃よく遊びに行きました。そして遠出をして見に行ったのが渡良瀬川。
そんな渡良瀬川に行きましょう。でも、もっとずっと上流です。
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P28851090542渡良瀬川と言えば、わたらせ渓谷鉄道。足尾銅山が現役だった頃のJR足尾線です。
わたらせ渓谷鉄道はJR桐生駅から出ています。
途中の大間々までは普通の街中を走りますが、大間々からは渡良瀬川とずっと併走して走ります。
桐生の街中では既に大きな川となっている渡良瀬川ですが、
大間々からは渓流になります。(左上写真)

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P28851090341コスモス咲く上神梅駅、
駅に温泉があるみずぬま駅、
列車(昔の東武特急けごん、だと思う)のレストランが併設されている中野駅と続きます。
駅に車を止めては、歩いて渓流まで行く、というドライブなんだか散策なんだか分からない今回の旅。

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神戸駅からは、わたらせ渓谷鉄道は長い長いトンネルに入りますが、車だと草木ダム、草木湖を眺めながらのドライブとなります。

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P28851090180そして沢入駅。
わたらせ渓谷鉄道の車内ガイドによれば、この沢入駅と隣の原向駅の間が一番の見所だとのこと。
この岩がごろごろした渡良瀬川のすぐ横をディーゼルカーは快走します。(右上写真、左上写真共レールが写っているのですが、見えますか?)
確かに、こんな山奥の渓流とずっと一緒に列車に乗ることなんか、なかったかも。
ドライブも快適ですが、ここは鉄道の方が素敵でしょう。
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原向を過ぎると、いよいよ足尾銅山。
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上の写真は、本山製錬所。
わたらせ渓谷鉄道の前身、JR足尾線の終着駅、足尾本山駅があった場所です。
今は廃線となっていますが。

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P28851090104現存している足尾銅山の駅は、
中心的駅が通洞駅、
次が足尾駅、
そして今の終着駅間藤駅。
折角なので通洞駅から間藤駅までは歩きます。
トロ道とかつて言われた線路上の台車を馬で引くトロッコ道を歩きます。

途中、家々の上をディーゼルカーが通り抜けます。

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足尾駅では、かつての国鉄のディーゼルカーが草に埋もれながら寂しそうに止まっています。
駅舎から駅前を眺めても、お店が一軒あるだけ。
寂しいですね。かつては人で溢れかえっていたのに。

P28851090501渡良瀬川も遂に最終地点に近づきます。

最終地点の近くに古河掛水倶楽部という足尾銅山のオーナーだった古河家の迎賓館です。
中もとても立派です。ビリヤード場等もあり、当時の貴族の生活を偲ばせます。実際、古河家の社長は男爵だったはずです。
回りは木造平屋のうさぎ小屋以下の鉱夫の長屋。
別世界ですね。
暴動が起きても不思議じゃなかったですね。

P28851090504この二つの川が合流する地点が渡良瀬川発祥の地、と書いてありました。とするとここでしょう。
源流はもっと上流なのでしょうが。
長い長い渡良瀬川の渓流旅。
ここから桐生の街を抜け、館林の先で利根川に合流するまで続く流です。

そして現在のわたらせ渓谷鉄道の終着駅、間藤駅。
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駅の向こうは断崖絶壁。

そして、無常にストップをかける鉄の車両止。
かつては、ここから先足尾本山駅まで貨物車が頻繁に行き来してたんですけどね。

今日は、ちょっとだけ廃線の旅もしちゃいましょう。

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P28851090250まず間藤駅からすぐ間藤の住宅街の踏切を越え、
渡良瀬川を渡り、
本山小学校(廃校)の脇のトンネルを抜け、
再び渡良瀬川を渡り、
足尾精錬所の中の足尾本山駅に入って、
本当の終点です。

廃線好きの私にとっては最高の光景!

でも〆はやっぱり温泉でなければ。
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風呂は神梅の神梅館、お告げの湯。
古い古い旅館です。

とても渓流のほとりの旅館には見えませんが、
実はさにあらず。
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旅館のすぐ横をわたらせ渓谷鉄道のディーゼルカーがすり抜けるように通り、線路の下はすぐ渡良瀬川です。

女将の話では、20年くらい前までは
川に降りていって遊べたのだとか。
今は「立入禁止」の立札がたっており、川には降りれません。

P28851090524それにしても、この女将、
不思議。
川崎からの流れ者、とのこと。
女将業もあまり好きじゃないらしく(いいのかなあ)
「商売好きくないから、今日も宿泊客2組も断っちゃった」
と電話で話していました。
お告げの湯のお告げ、って何のお告だったのですか?
と聞いても、何だったっけ?だって。

可愛らしく愛嬌のある女将なのですが、
あなたの代でこの老舗旅館を潰した、なんてことにならないで下さいね。

P28851090428温泉につかりながら、青緑の渡良瀬渓谷を思い浮かべます。
もうちょっと後だったら紅葉でもっときれいだったでしょうね。

さて、実は、3泊4日で桐生の駅前ホテルに泊まり、渡良瀬渓谷を楽しんでいる今回旅。
わたらせ渓谷鉄道で1往復、車で2往復してしまいました。
頭の中は、緑の渓流で一杯。

次回は、足尾銅山の話をします。

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千と千尋の神隠し、四万温泉「積善館」~元禄の湯


胃腸が悪くなり弱っていく一方のおっかさんを、どうしても元気にしてやりたい、と思った息子は、意を決して山に行くことにしました。群馬県中之条まで汽車で行き、後はおっかさんをおぶって幾つもの山を越えて何時間も歩きます。ようやく下の方に目指していた宿場町が見えて来ました。四万の病を治すという四万温泉。街道を真っ直ぐ進むと赤い橋が見えて来ます。
着きました、四万温泉「積善館」!
P28781080031
P28781080157320年の歴史を持つ温泉宿。徳川綱吉の元禄時代から続く湯治の宿です。
医者も薬も殆どなく、病気になったら温泉に毎日浸かって治すしか方法のなかった時代、新潟県との県境にある四万温泉は胃腸の病を治す温泉として有名でした。
P28781080223左の写真は、明治時代のもの。
車もバスもない当時は、金持ちは人力車、庶民は自ら歩いてきたのです、中之条から。
かなりありますよ。
写真で人力車に乗っている女性は金持ちのお嬢様だということになります。
舗装道路ではないため、人力車と言え、乗り心地が良いとは言えないでしょうが。


P28781080219そして、母親をおぶっている男性は、自ら母をおぶって歩いて来たとしか考えられないのです。
(積善館に残っている貴重な写真を見せながら、当主の婿である社長さんが説明してくれました)

そして、今回の私。
「どうしても、生きているうちに四万温泉積善館にもう一度行きたい」
という母の願をかなえるべく、両親の運転手として
私も四万温泉に同行。
P28781080035前橋出身の母は小さい頃、毎夏2~3週間、この積善館で過ごしたのだそうです。
自炊だったようですよ。
(湯治客にとっては、それは普通のこと)
そのおかげか、胃腸が丈夫になり健啖家になった母は、一杯食べて太ってしまったとのこと。
母の肥満の原因は、この積善館らしいです。

Imagesそして、この積善館に関しては、もう一つのエピソードがあります。

宮崎駿の「千と千尋の神隠し」。

あらゆるアニメの中で最も好きなのが、この千と千尋。
最高傑作でしょう。

何度も見過ぎて、殆ど暗記しています。

最近は、こちらの話しの方が話題になっていて、問い合わせも多いそうです。
P28781080044橋を渡った所にある湯屋のモデルの一つがこの積善館だというもの。
実際、宮崎駿は何度も、この積善館に宿泊しているそうです。
社長が直接会って何度も話している、というのだから、
事実なのでしょう。
橋だけでなく、千と千尋で出てくるトンネルや廊下も、そっくりと言えばそっくり。
P28781080030P28781080054
ただ宮崎駿自身はモデルの館については一切話していません。(さすが)
幾つもの館の記憶が彼の想像力の中で昇華したものがあの湯屋なのでしょう。

P28781080165さて、この積善館、最早歴史的建造物とも言える昔からの一階の建物の他に、2つの別の建物があり、山の斜面に三層構造となっています。
さすがに一階の建物は、見ている分には良いのですが、宿泊するとなると、相当覚悟が要ります。
狭いし、廊下との間は襖だし、プライバシーも何もありません。昔はそれが当たり前だったそうですが、現代人の感覚では無理。
P28781080180今は日帰り温泉の客のための休憩所となっているとのこと。
多少ましな部屋もありますが、今でも湯治で何拍もする客のための部屋で、温泉旅館に観光に来る人は、基本2階層目の建物か、3階層目の建物に宿泊することになります。母や最初、どうしても昔ながらの1階の部屋に泊まりたい、とダダをこねていましたが、宿の人の言うことを聞くのが正解でしょう。

3階層目は観光ホテルに馴染んだ客でも喜べる広くきれいな部屋。
眺めも良く、四万温泉と山々が見渡せます。(左上写真)

さて、当然のことながら、当ブログである以上、いきなり温泉でゆったりという訳には行きません。
歩くのです。
両親を残して、一人出発。

P28781080062宿を出て真っ直ぐ進みます。
蕎麦屋、スナック、パチンコ・スーパーボール・・・・
お約束の温泉街。
昔はおいらんの館もあったそうですよ。
昔は、中之条から越後、苗場に抜ける道でもあったため、
湯治客だけでなく、多くの客が宿場町としても、
この街を通ったとのこと。

P28781080071落合橋を渡り、
左方向に進みます。
ゆずりは、と呼ばれる温泉街、
というより保養地。
ペンペン草の生えたテニスコートもあります。
若い人たちがテニスに汗を流した時代もあったのでしょうか。
いずれにせよ、江戸や明治の風情とは全く異なります。

P28781080074P28781080102
川側は新緑の間から渓流や滝が見れ、
清々しい気持ちになります。

P28781080090クマ出没注意という札あり。
野性の動物の間に無理やり人間が住んでいる、と言った方が妥当なのでしょう。
それに、四万温泉はクマより蛇が有名。
祖父からも、四万温泉でマムシに追いかけられた、とか、
露天風呂に浸かっていたら蛇も湯に入ってきた、とか、
最近では、ニシキヘビ級の大きな蛇が街に出た、とか。
世の中で一番嫌いなモノは蛇という母にとって、
それだけが気がかり。

P28781080096P28781080097


P28781080098日向見と呼ばれる一番奥の温泉街に出ます。

重要文化財の日向見薬師堂があります。

その隣には、四万温泉で一番最初に湯が出た、と言われる、
公営の風呂があります。

その横には足湯があり、熟女達が早速楽しんでいます。

さて、ちょっと引き換えし別の方向に進むと、
何やら前方に得体の知れないものが。
とても大きい。
そして場違い。
P28781080101
四万川ダムです。

P28781080249巨大なコンクリートの塊ですが、
最近「進撃の巨人(諌山創)」にはまっている私には、ダムではなく壁に見え、
その上から超大型巨人が姿を現しそうな気がしてきます。
そして一撃。
ウォール・マリア崩壊・・・・
場違いな妄想に陥っていては、先に進めないので、
また歩き始めます。

P28781080111落合橋に戻り、今度は温泉街でなく、山の方に向かいます。
水晶山。
昔は本当に水晶が採れたようですよ。

大きな杉が続く山道。
仙人でも出そう。

P28781080114ふと見上げると、何やら人。
石像。
子供のようです。
(左写真、分かりますか?)
何でこんな所に
唐突に子供の像?
何か悲しいことでもあったのでしょうか。
分かりません。

P28781080115そして、そこから程なく大きな建物が現れます。
どこかでいつも見ているような気のする建物。
そうです、小学校。
本物の子供の世界。

でも人の気配はありません。
近付いてみましょう。

P28781080121P28781080124
学校の怪談に出て来そうな校舎。
中之条第三小学校跡です。

校庭は半ば駐車場、半ば放置されています。かつて子供達の歓声で沸き返っていた校庭は、今や、雑草伸び放題。そのうち、ブランコもジャングルジムも鉄棒も朽ち錆びれ、自然の中に取り込まれていくのでしょう。
P28781080130時計の針が9時過ぎを指しています。
(今は1時過ぎ)
廃校の時の9時から時が止まってしまったのでしょう。

子供が消えていくというのは、何とも寂しいものですよね。
ニッポンもこのまま年老いていくのでしょうか。

P28781080136かつて小学生がワイワイガヤガヤ通ったと思われる校門への道(左写真Yの字の右側。突き当りが学校)を下ると、そこはまた温泉街。

川沿いの道を浴衣姿の温泉客とすれ違いながら歩きます。

P28781080140P28781080141
それにしても、きれいな川の色だこと。
これをま近に見ながら露天風呂に入れたら最高でしょうね。
実際、この四万温泉にはそんな宿もあります。

P28781080144月見橋を渡り、塩の湯温泉所と呼ばれる一番の目抜き通りに出ます。
店店が軒を連ねており、女主人達が元気に話しています。
なかなか活気ありますね。
そして萩橋を渡ると、スタート地点に戻ってきます。
2時間以上のウォーキング。
湿度もあるので、汗びっしょり。

ときたら、次は当然温泉風呂。
そもそも最大の目的はこれですからね。

P28781080160P28781080162
とはいっても、この積善館、風呂が一杯あり、どれから入って良いのか迷ってしまいます。
最初は、泊まっている最上段にある現代風の風呂。
大きくきれいですが、良くある風呂と露天風呂。

はしごするしかないでしょう。
一番有名なのが、昔からある元禄の湯。湯治のための湯です。
赤い橋の横にあり、まさに積善館を代表する湯。
P28781080187
今までも何回か、写真で見たことがありますが、
実際見ると、やはりびっくり。
何と表現したら良いのでしょう。
どこか別の世界に来てしまったのでしょうか。

P28781080244左写真の右側の入口扉を開けると、そのまま大浴場。
脱衣場が風呂と一緒になっているため、
突然のタイムスリップ光景。

草津が強い湯だとすると、こちらは柔らかい湯、だとのこと。
言われてみればそんな気がしてきます。
体の芯から温まりますが、私は元々胃腸が丈夫なので、これ以上丈夫になって、
食欲が増えたら、また太ってしまいます。
ほどほどに控えなければなりません。

にもかかわらず、一旦休んで、もう一つの風呂に挑戦。
というのも、別の目的があるからです。
それは、「混浴」。

P28781080173一階にある岩風呂は
何と混浴なのです。
行かない訳にはいきません。
かつて混浴で面白い体験をした私は、再びハプニングを期待して突入します。
北川温泉黒根混浴露天風呂ハプニング
西伊豆平六地蔵混浴露天風呂ハプニング

勢い込んだものの、湯船には誰もいません。

P28781080174でも、今から入ってくる可能性は否定できません。
それに、仮に女性が入ってくるとしたら、衝撃的なシーンですよ。
混浴風呂の掟として、女性をジロジロ見るな、というものがありますが、湯に浸かっている客から見ると、女性の登場口は、まるで舞台からダンサーが登場するよう。
写真のように、上から階段を降りてくる登場の仕方になるので、
どんな男性であっても、振り向かない訳にはいきません。
女性は間違いなく全員の視線を体に浴びることになるでしょう。

P28781080236宿にある絵を夢見て、長期戦。
期待に胸は膨らみますが、時間ばかり経過。
辛抱も限界に近づき、遂に降参。
トボトボと一人で更衣室に引き上げます。

岩風呂を後に部屋に引き上げようと歩いていると、
何と、お風呂の道具を手に持った浴衣姿の女性二人がこちらにやってくるではありませんか。
30歳位でしょう。
この先には、部屋はなく、混浴風呂しかありません。
すれ違った私は悩みました。

混浴風呂に戻るべきでしょうか?

でも、それでは女性に見え見えです。
理性と本能の葛藤の結果、理性がかろうじて勝ちました。
しかし、あと数分辛抱出来なかった自分を呪いました。

(馬鹿な私は、翌朝も混浴岩風呂に挑戦しました。
そして最後まで一人湯を楽しみました。)

P28781080182さて、風呂の後は、勿論夕食。
3つの風呂で脱水症状になった私の体の全細胞にビールが一気にしみわたります。

至福の時です。

そして、温泉で更に胃腸が丈夫になった私は、次から次へと出てくるご馳走を平らげます。
千と千尋の「顔なし」にでもなった気分。

宿特製の吟醸酒も最高!
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P28781080200_2
生きている喜びとは
かくものかは・・・・
酩酊は続きます。

最近、やや不眠気味だった私ですが、今宵ばかりはぐっすり寝てしまいました。
これも温泉の効能なのでしょうか。

P28781080240翌朝、宿を出発する時、もう一度赤い橋で写真を撮りました。
あんなに「もう一度来たかった」という積善館。
宿願を果たせて本当に喜んでいました。

今生において、もう一度こうやって一緒に写真を撮ることは多分ないのでしょうねえ。
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少年時代蘇る館林つつじヶ丘公園・城沼一周~哀しい一日

群馬県館林市は私の両親が住んでいた街です。
特に小学校4年生の時、両親がイギリスに行った時、私と弟は館林の両親の実家に預けられていました。館林市民なら誰だって来るこのつつじヶ丘公園に私もよく連れられて来ました。
P28401020216_2

P28401020218P28401020238

P28401020256つつじの季節は、きっと今年もそうなのでしょうが、花見客で大賑わいでした。そこら中でお弁当を広げて盛り上がる老若男女。私達もそうでした。

つつじの季節が終わって一ヶ月近く経ちますが、
所々に最後の意地を見せて咲いているつつじに出会います。
もう誰も観光客はいませんが、いじましいことです。

P28401020294そしてその帰り道、
当時は尾曳神社まで渡し舟があり、それに乗って帰る人もいましたが、私達はその渡し舟を見ながら、城沼沿いの道をテクテクテクテク歩いて帰りました。

所々にもう使われなくなって沈みかけた渡し舟が岸辺にもやってあります。

P28401020237尾曳神社の横にかかる橋も、
今のような車も余裕で通れる橋ではなく、
人と自転車だけが通れる木の橋。
この木の橋からぼーっと眺める城沼が好きでした。

今は、コンクリの大きな橋の下に咲く一輪の菖蒲。

P28401020208橋の袂に尾曳神社があります。

ここで小学4年生の写生大会があり、私も皆に混じって下手な絵を書いていました。
本当は絵なんてどうでもよく、
さっさと終えて弁当食べて遊びまわりたかったのですが。

P28401020235P28401020232
橋の反対側に旧秋元亭があります。
両親が結婚披露宴をやった所です。

今も僅かにあやめ(菖蒲?)が咲いていますが、
もう少しすると満開になるでしょう。

P28401020209感傷的にブラブラするのも良いのですが、どうせなら当時も出来なかった城沼一周をやりましょう。
歩いて無理にでも体力を消耗したい気分ですから。

丁度良い散歩道。
朝陽の小径(あさひのこみち)という名前のようです。
気分は朝日のように、とは行きませんが。

P28401020243当時、両親が不在で、いつも手持ち無沙汰にしていた私は、いろいろな親戚に遊んでもらいました。
その中の一人に父の弟、
すなわち叔父さんがいました。
良く叱られもしましたが、
優しい叔父さんでした。

P28401020261彼も少年時代は文学青年で、大学の文学部を志しましたが
挫折したようです。
でも、商才があったため、
財をなし、子供・孫にも多く恵まれました。
その叔父さんが亡くなりました。
77歳でした。
今日館林に来たのは
この叔父さんの葬式のためです。

P28401020284P28401020287


つつじヶ丘公園のすぐそばに叔父さんの自宅があるので、この道は叔父さんの散歩コースだったに違いありません。
幸せな隠居生活だったのではないのですか?

決して余生が長いとは言えない年齢なのですから、
それを敢えて自分でショートカットする必要があったのですか?
苦しみや悩みがあったとしても、もうそんなに長くはないはず。
もうちょっとで寿命を全う出来たのではないですか?
なぜ今自殺なんて・・・・

はたから見れば結構恵まれた人生にも思えるのですが、少年時代から思い通りにならないことが沢山あったようです。失意と苦悩の人生だったのかもしれません。
それも過去のこと、として記憶の片隅に残るような失意と苦悩ではなく、今なお生々しく暴れる失意と苦悩です。
最後まで続いた失意と苦悩。
自己の生命と引き換えに消滅させたかった失意と苦悩です。

でも死に顔は優しかった生前の顔そのままの穏やかな顔でしたよ。

P28401020308翌日は嘘のように、きれに晴れ渡った快晴。
初夏の香漂う街外れの焼き場。

やっと開放されたのですか、
この青い空のように?

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